8世代総括記事(大感謝)

皆さんこんにちは。

ゆうた(アシレいぬ)と申します。

今回は僕の生活・人生を色々な意味で変えた剣盾、いわゆる8世代の総括記事を執筆することにしました。

思い入れの分だけボリューム満点になるかと思いますが、最後までお読みいただけると幸いです。

 

1 剣盾との出会い(終わりの始まり)

 ある日の居酒屋、高校時代の友人グループで「4人で何かswitchの共通のゲームやろうぜ」という話になり、色々候補は出たわけですが、自分含む3人は何となく育成等の知識があったことから、ポケットモンスター ソードを購入することになりました。

 これが2020年11月初旬のことなので、時期的には冠環境最初のシーズンだったようです。

 こうして私たち4人の(このあとすぐ1人になります。)ポケ廃生活が始まったのでした。 

 

2 初心者時代①

 私自身ポケモン対戦は、ORAS、USUMで育成(妥協して3Vとか)とバトルタワーをしていたくらいで、ネット対戦の経験は全くなく今回も仲間内で嗜む程度の気持ちでいました。

 といった具合なので最初はとにかく友人3人がライバルで、集まるごとにリーグ戦を行って順位を競っていましたね。青春だった。

 対戦内容は今思い返すと酷いもので、Gヒヒダルマナットレイに後出ししてジャイロで吹き飛ばされたり、エースバーンの前でGヒヒダルマダイマして普通にダイバーンで吹き飛ばされたり。これ見て「弱っw」で爆笑してたのも良き思い出です。

 

 ランクマッチはその試運転のつもりで始めてみましたが、当初は追加コンテンツも買ってない上にポケモン対戦というものがよくわかっていなかったため、ボコボコにされて顔を真っ赤にして「厨パ乙」って切れてました。

 そんなこんなで回数を重ねてるうちに友人たちがポケモンに飽き始めたので、冠3シーズン目は1人でランクマしてた気がします。今思うとアシレーヌとかランドロスとかボルトロスを使い始めてたので、もうだいぶ浸かり始めてますね。

 

3 初心者時代②

 ルールが変わって禁伝が1匹使えるようになった聞いたので、とりあえずザシアンを使ってパーティを組んでみたのですが上手く扱えず、ルビサファキッズだしなんか強そうだからという理由でカイオーガを使い始めました。これが相棒との出会いだったりします。

 カイオーガを入れてから瞬間31位を獲得するなど、雑に暴れるだけである程度勝てたので、彼のことが手放せなくなったのを覚えてます。

※全人類スカーフ巻いてる中、眼鏡掛けてラッキーとナットレイをカモにしてただけ。

 結果的にS15とS16で最終4桁前半を達成、S17では最終562位を獲得することができました。当時はTwitterのポケ垢なんてなく、狭い世界で生きていたため、俺めっちゃ強くなったわと思ってた。

 

4 仲間大会おもれー! 

 この時期あたりはもう友人たちもポケモンやってなかったんですが、ある日みんなで一緒に仲間大会というやつに出てみようという話になりました。

 景品受け取りとかもあるので、この時に軽い気持ちでTwitterでポケ垢を作りました。これが2021年の6月のことで、私の初代アイコンがロズレイドだったことを知っている人は最古参認定します。今思うとこれも自分にとっては大転機でしたね。

 これがきっかけで仲間大会にハマっていくわけです。カイオーガが使えなくなって冠環境に面白みを感じることができなくなってたのが大きかった。。

 予定を空けれそうな日は楽しそうな仲間大会を探してパーティ作ってを繰り返してて、このまま飽きるまで何となくポケモンを続けていくんだろうなと思っていました。

 仲間大会メインで活動してる方々と交流があるのもその名残があるからだと思います。この界隈事あるごとにランクマ勢VS仲間大会勢が勃発するから複雑だった。

 

5 強者の背中が見え始めたダイマなしルール

 そんなこんなで仲間大会メインでポケモン対戦をしている中で、ランクマの新ルール発表。

 なんと来月からはダイマックスが使えなくなるとのこと。。。

 正直ダイマのないポケモン対戦を楽しめる気がなかった私は、「まあ今期で引退かな」とぼやいていました。ランクマに対しては特に熱意や目標があったわけではなかったので、ルールが面白くないと憤慨してるわけではなく、どこか悟りを開いたテンションでした。

 

 そして皆さんお見込みのとおり、気が付いたらパーティを作り始めていました。

 どこかで見たくだりですが、このルール最強であるはずのザシアン軸を組みましたがいまいち安定せず、結局カイオーガを使ってました。

 とりあえずとんぼがえりで対面操作をして、眼鏡オーガの火力を押し付けてたのを覚えてます。確か最初のシーズンの終盤にこの戦い方を確立して、ギリ最終3桁を逃して悔しがってました。

(当時はよくわかっていなかったが、後から見返すとレート1900を達成していたらしい。)

 という感じでポケモン対戦を継続というかむしろ熱が入り始めていた私に、ある転機が訪れます。

 第48回葉桜杯の本戦に出場することができたのです。突破できたときは正直嚙み合った感、場違い感がすごかったですが、この大会の凄さは何となく知っていたので、舞い上がりました。(わんちゃん配信されるんじゃ…?って期待してた。)

 

 結果はなんとベスト4まで進出することができました。(配信卓は引けなかった。)

 決勝進出をかけた試合もかなり熱い試合ができたので、強い人たちとも程度戦えるんだと自信になったとともに、またこの舞台に立ちたい、もっと強くなりたいと思うようになりました。

 実際このシーズンは最高レート197○を達成しており、レート2000は凄いらしいみたいなざっくりとした認識は持っていたため、自分では「強者の背中が見えてきたぞ!」と思っていました。

 

 余談ですが、この頃の私の戦い方は、1点読み釣り交換のオンパレード、メタモン&ゴチルゼルでコピーキャッチプリキュアしまくってて、黒歴史といっても良いくらい酷いものでした。

 だから最高レートこそそれなりに高かったものの、最終順位は普通に2000位くらいまで溶かしてました。

 というわけで「強者の背中が見えてきた」は残念ながら錯覚だったわけですが、それでも手ごたえを感じることで高みを目指す欲が増した部分はあるので、自分にとっては思い入れのあるシリーズになっています。

 

 そんで振り返ると実際に背中が見えてきたのは、その後の竜王戦ダイマルールなのかなあと思ってます。

 この時のルール発表ではみんな確か、「またこのルールかよ…もうええて…ダイパリメイクやろ…」みたいなテンションだったんですよね。

 逆に僕は、「ダイマカイオーガまた使える!ユーザーも減るだろうし、今までより良い順位取るぞ!」みたいな感じで逆に意気込んでました。

 最初のシーズンは結構負けた記憶しかないんですが、2.3シーズン目は安定してレート1900↑&最終200位代を取れるようになっていたので、上位勢に近づくことができたのは実はこの時期な気がします。レート2000も結構意識してましたね。

 この時の成長を振り返ると、前ルールのような「択を制す」ような発想はなくして、安定して強い並びを探しながら構築をカスタマイズできていたと思います。

 あとはサブロムのTNアシレいぬを運用し始めたのもこの頃です。2ロム回せると順位が安定するようになりました。

 何となくその場で名付けた名前なんですが、有名強者の方々にはこちらで認知してもらうこともありましたし、SVではこれを本ロムTNにしようかと思っているくらいお気に入りです。

 

6 レート2000絶対取るぞ!

 さあ竜王戦環境も終わって私が1番の思い入れのあるGSルールが始まりました。

 僕個人「ザシアンがいたらな…」と何度も思ってたので、「このルールやばすぎw」といいつつ楽しみにしてました。

 実際始まってみると何が起きてるのかわからなくて困惑してたんですが、最初のシーズンはなんとか瞬間レート1900は達成できました。

 そして本記事何度目かの転機が訪れます。

 今日ポケチャンネルでランクマ最終日合宿なるものをやっていたのです。

 この神回を観てありえんほど刺激を受けた僕は、ギリポケモンに片足を残している友人に連絡をして、「4月の最終日GWだから、エアビーで宿取ってランクマ合宿やろう!」という話を持ちかけました。 

 友人が快く引き受けてくれた(彼は合宿所ではなんか指振りの仲間大会出てた。)ため、S29の最終日である4/30に合宿を行う予定を立てました。

 これまで最終日は遅くても夜3時くらいまでしか潜ったことなく初の朝までコースということで、「これを機に絶対2000取るぞ!!」と意気込みに意気込んでました。

 実際S28では2ロム1900、最高で1950近くは取れていたので、朝まで取り組めるならわんちゃんあるかなと思っていました。

 そしてS29もオーガザシアンの練度が高まって来てたこともあって順調にレートを伸ばし、1ロム1960、1ロム1910くらい用意して合宿スタート。

 そして早速20時くらいに1ロム宇宙へ飛ばし、1960のロムで涙目特攻したのを覚えてます。

 そこから一度は1830近くまでレートを溶かしたものの、深夜1時近くに鬼の連勝の流れが来て、無事1993まで辿り着くことができました。

 この時点で最終2桁は見えていてとりあえずシャワーを浴びて保存していたのですが、どうしても2000という数字が欲しくて意を決して潜りました。

 そして魂の1戦。ポケモン人生で1番武者震いしてました。

 まずは初手ザシアンVSゼルネアス(出し勝ちきたぁ!!)

剣舞を押したタイミングでナット引き(爆アド!!)

→噛み砕くで倒せないものの宿木避ける!!(きたぁ!!これ勝ったやろ!!)

みたいな感じで神様が豪運引かせてくれて勝つことができ、無事レート2000&最終2桁を達成しました。

 正直一度溶かしたこともあって苦しかったし何より結果に満足したので、これでランクマ生活にも一区切りしようと思っていました。

 

7 仲間達との出会い

 目標にしていた2000も達成したし、(正直この頃からプロポーズ・新生活のこととか考えてた)心置きなくランクマから離れようと思っていました。

 が、しかしここまでこれといってTwitterに友達がいなかった私の交友関係に確変が起きます。

・レート2000を達成してツイートを見てくれる方が増えたこと

・当時タメリプで一世を風靡していたS氏の師匠(笑)になったことをきっかけにたくさんの弟子ができたこと

・勇気を出して水御三家窓に入れていただいたこと

など、予想もしてないレベルでTwitter活動が賑やかになりました。

 正直下ネタとか恋愛系の話もあえてしないしようにしてたのですが、心を開ける人が増えてしまうと、自然と口走るようになってましたね。調子に乗って某18鯖を立ち上げたりもしました。

 そんなこんなでSNSで素を出せるようになったこともあってランクマ勢のみならず仲間大会勢の方とも仲を深めることができた期間でもあると思います。

 そして対戦面はというと、周りに感化される頻度も増え、のんびりエンジョイ勢をしてるわけにもいかずに気づいたらランクマに潜っていました。

 実際S30、S33でもレート2000を達成し、葉桜杯の本戦にも2回出場することができ、自分のポケモン人生では全盛期のルールになったと思います。

 10月のリボンオフではこのルールを担当して、チーム準優勝をすることもできました。本当に部活みたいで青春だった。

 

 正直禁伝2体は期間が長すぎたことも相まって人気のない環境だったかもしれません。

 それでも自分にとっては初めてレート2000&最終2桁を取ることができ、この7ヶ月で仲良くしていただける方もたくさんできたので、非常に思い入れのあるルールです。

 

8 終わりに

 ここまで長々と書き連ねて来ましたが、結局何が言いたいかというと、ポケットモンスター剣盾は最高のゲームで、それを通じてここまで仲良くしてくれた皆さんは最高の宝物です。

 正直ゲームにここまでハマった経験もSNSで知らない人と交流した経験も全くなかったので、25歳からこんなに人生を謳歌できるのかと本当に幸せな気持ちでいっぱいです。

 そして私ごとになりますが、10月から婚約者との新生活が始まっており、11月に入籍予定です。

 今後ポケモンSNSとの付き合い方がより一層難しくはなってきますが、9世代でもなんとか時間を作って対戦を楽しみながら皆さんとの交流をしていきたいと思います。引き続きよろしくお願いいたします。

 本当に長くなってしまいましたが、お読みいただきありがとうございました!!